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坂井泉水のプロフィールや経歴。死因は病気?事故ではなく自殺だったのか

坂井泉水のプロフィールや経歴。死因は病気?事故ではなく自殺だったのか アーティスト

こんにちは。

10月17日の直撃!シンソウ坂上でZARDの坂井泉水さんが特集されますね。

坂井泉水さんの死から12年…盟友・大黒摩季が涙で語った真実の物語とはということで、なにが語られるのか気になります。

さらに、彼女の最期を知る関係者が息を引き取る間際の坂井さんの様子について告白してくれるそう。

坂井さんが亡くなったときはかなり騒ぎになりましたよね。

当時は自殺なのではないかと言われており、私も実は自殺だと思っていました。

真実はどうだったのでしょうか。

坂井泉水さんのプロフィールや経歴とともに調査しました。

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坂井泉水さんのプロフィール

名前 坂井泉水(さかいいずみ)

本名 蒲池幸子(かまちさちこ)

生年月日 1967年2月6日

出身 神奈川県平塚市

死没 2007年5月27日(40歳没)

血液型 A型

学歴 松蔭女子短期大学卒業

職業 ミュージシャン、歌手、作詞家、モデル (初期)

事務所   スターダストプロモーション、SENSUI

坂井泉水さんは、本名蒲池幸子さんといいます。

音楽ユニット・ZARDのボーカリストとして活躍しました。

2007年5月27日に40歳という若さでこの世を去り、今年で12年目を迎えます。

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坂井泉水さんの経歴

意外にもモデル活動の過去も

坂井泉水こと蒲池幸子さんは、子供の頃から歌が好きで、ピンクレディーや松田聖子、河合奈保子を真似したりしていたそう。

部活は陸上やテニスで活躍、高校の文化祭では「ミス」にも選ばれており、美少女として有名でした。

短大卒業後はバブル景気を謳歌していた第一不動産に就職します。

しかし、街でスカウトされたのを機に芸能活動を始め、約2年で退社しました。

その後は、東映カラオケクイーンに選ばれてカラオケビデオに出演したり、岡本夏生らとレースクイーンをやったりしたものの、目標はあくまでも歌手だったといいます。

ドラマやバラエティのちょい役をこなしたり、写真集を出したりしながら歌手として活動できる日を待っていたといいます。

そんななか、大きな転機が訪れます。

23歳のとき、B.Bクィーンズのコーラスメンバーを決めるオーディションに挑戦、所属事務所ビーイングのプロデューサー、長戸大幸さんの目に止まったのです。

そこから坂井さん、そしてZARDの快進撃始まりました。

といっても、プロデューサーが坂井さんに求めたのは“平成に生きる昭和の女”だったそう。

表舞台で派手に歌い踊るのではなく、時代にひっそりと寄り添いながらその伴奏をするようなスタンスは、坂井さんにぴったりでした。

ZARDはテレビなどのメディア出演をほとんどせず、謎多きグループでしたが、歌と曲でたくさんの人を勇気づけました。

髪型も変えず、そのコンセプトを最後まで変えなかったことが、数多くの大ヒットを生み続けたと言われています。

1991年2月10日、シングル「Good-bye My Loneliness」でデビュー。

以降、音楽活動を続け「負けないで」「揺れる想い」「マイ フレンド」など9作でミリオンヒットを記録し、90年代アーティスト・トータル・セールス:女性ボーカル・アーティスト1位に輝きました。

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アーティスト活動の後半は闘病しながらだった

しかしながら、2000年以降、子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮内膜症と次々に病気を患い、通院の日々が続いたそう。

2000年に「Get U’re Dream」がNHKのシドニーオリンピック放送時のテーマ曲になった縁から2000年のNHK紅白歌合戦の出演に前向きだったと報じられましたが、その後「体調がすぐれないため」として出場を辞退しています。

2006年4月、仕事中に体調が悪化したため、病院で検査を受けたところ子宮頸癌が発見されます。

そのときは6月1日に慶應義塾大学病院で病巣の摘出手術を受け、7月に退院しました。

ところが、2007年4月、肺への転移が見つかり再入院します。

入院中は抗がん剤による治療を受けながらも、治療後のアルバム製作とコンサートツアーに向けて作詞を行うなど、再始動を目指していました。

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坂井さんが亡くなったのは自殺ではなく事故?その日は雨だった

そしてその日は訪れます。

坂井さんは5月26日、入院先の慶應義塾大学病院内のスロープ状になっている高さ約3メートルの地点から転落し、駐車場で仰向けに倒れているところを通行人に発見されます。

その後集中治療室で緊急処置を受けましたが、後頭部強打による脳挫傷のため、5月27日午後3時10分に亡くなりました。

40歳でした。

坂井さんの亡くなった原因には、さまざまな憶測が飛び交いました。

ある音楽関係者は「身辺整理をしていなかった。詞を書くなど、復帰に前向きだった」と自殺説を完全否定しましたが、入院先の病院関係者は「自殺しかあり得ない。病院側の管理責任が問われる」と明かしたそう。

自殺と事故の両面で調べを進めた警視庁によると、坂井さんは26日午前5時40分ごろ、東京・信濃町の慶応大学病院の駐車場で、頭から血を流してあおむけで倒れているところを通行人に発見されます。

坂井さんは病棟脇にある非常用スロープ(高さ約3メートル)から転落したとみられています。

慶大病院の関係者は次のように明かしています。

「患者があれほどの早朝に、非常通路に出入りすることはない。しかも、雨が降る早朝に散歩することも不自然だ。自らの意思で乗り越えたとしか思えない。状況から考えて自殺ではないのか。病院関係者の多くがそうみている」

坂井さんは、現場となったスロープのある病棟の4階に入院していましたが、病棟からスロープへは施錠してあるため、直接出入りはできないといいます。

この関係者は続けて、「患者に自殺を許してしまった病院側に管理責任問題が問われる可能性もある」とも話しています。

さらに、警視庁の発表によれば、坂井さんが手すりを乗り越えた痕跡が見つかっており、「足を滑らせた」と発表した事務所側のコメントと大きく矛盾していたそう。

一方、音楽関係者は「遺書もなかったし、病室が整理された様子もまったくない。病室では詞を書き留めたり、秋ごろをめどに、ツアーやアルバム製作を予定するなど、復帰にはとても意欲的でした」と真っ向から自殺説を否定しました。

というのも、坂井さんは発見時、私服で病室のベッドにはパジャマが脱ぎ捨てられていたそうなんです。

これから死に向かおうとする方だったら、きれいに片付けたりしそうですよね…。

さらに、坂井さんはファンクラブの最新の会報にも「体調は思わしくないが、頑張っている」と前向きなメッセージを寄せていたといい、生前、自殺の兆候がなかったことを物語っています。

乗り越えたとされる手すりは1階部分で、警視庁では「自殺で3メートルの高さは低すぎる」と漏らす捜査関係者もいたそう。

たしかに、本当に自殺する人だったらもっと高いところから飛び降りようとしそうですよね。

坂井さんが手すりに腰掛け、誤って転落した可能性も含めて調べていたとのことで、最終的には「事故」という結論になっています。

プロデューサーの長戸大幸さんが坂井さんと最後に会話を交わしたのは、亡くなる2日前の5月25日だったそう。

「退院したらレコーディングをしよう」

そう、電話で約束をしたといいます。

そのとき、彼女もレコーディングを楽しみにしている様子だったといいます。

そんないつも通りの会話が最後になりました。

あまりにも突然のことでもあり、坂井さんは自ら死を選んだのではないか、という噂も流れましたが、レコーディングを楽しみにしていた様子からも、やはり転落事故だったとしか思えないと話しています。

坂井さん、投薬のせいで、頭がぼうっとするとも話していたそう。

そのあたりが、事故の一因になってしまったのかもしれません。

まとめ

10月17日の直撃!シンソウ坂上でZARDの坂井泉水さんが特集されますね。

坂井泉水さんのプロフィールや経歴、そして亡くなった原因などをまとめました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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