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門入集落(交通困難地)に住む理由や場所行き方は?徳山ダムで沈んだ村

門入集落(交通困難地)に住む理由や行き方は?徳山ダムで沈んだ村 メディア

こんにちは。

10月14日(月)の世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~は、「特別企画!日本ナゼそこに!?「交通困難地」に住むスゴい人」ですね。

こちらで岐阜県にある謎の交通困難地、「門入集落」がクローズアップされます。

こちらは車も携帯の電波も入らない、険しい山道を徒歩で3時間も歩かなければ辿り着けない「交通困難地」なんです。

なぜそのような場所に住んでいるのでしょうか?

また、先日の台風19号の猛威から利根川の氾濫を守った八ッ場ダムでも、同じようにダムに沈んだ集落がありました。

そちらもあわせてご紹介します。

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門入集落(かどにゅうしゅうらく)とは?

門入集落とは、「かどにゅうしゅうらく」と読みます。

現在の岐阜県揖斐郡揖斐川町(旧・徳山村)にある集落です。

現在ではほとんど人が住んでいないため廃村集落とも呼ばれます。

徳山村は揖斐川上流にあった村です。

しかし、徳山ダム建設のため、村民は1984年(昭和59年)に離村を開始し、1987年(昭和62年)に藤橋村(現・揖斐川町)に編入合併して廃止されました。

編入後も残っていた村民も2001年(平成13年)までに離村しました。

徳山ダムは2008年(平成20年)5月に完成し、徳山村の可住区域はダム湖(徳山湖)に水没しました。

しかし、そんな徳山村の最も奥、標高が高かった門入集落は水没を免れたのです。

ですが、集落に至る道路が水没してしまうことを前提に補償がされ、全員が離村しました。

徳山ダムの建設について

徳山ダムは揖斐川最上流部に建設された独立行政法人水資源機構が管理する日本最大級のダムです。

総貯水容量は6億6,000万m3にものぼり、日本一を誇ります。

水害常襲地帯である揖斐川の治水および東海3県の水がめとして建設されました。

揖斐川は水害が多く、昔から多くの治水工事が繰り返されてきました。

しかしならが根本的な解決とはならず、揖斐川の治水は流域住民の悲願でもありました。

ですが、ダム建設に伴い徳山村全村が水没することから反対運動なども当然激しく、ダムが完成した現在でも必要性についての議論が続いています。

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門入集落(かどにゅうしゅうらく)への行き方は?携帯の電波も圏外!熊よけの鈴必須!

徳山湖により交通が遮断されている門入集落ですが、アクセスがまったくでいないわけではありません。

方法は2通りあります。

一つ目は、ダム湖をボートで渡る方法です。

ですが、このボートは関係者しか使えないため、一般の人は使うことができません。

そのため、もう一つの方法、ホハレ峠からアクセスするし方法しか実質のところはありません。

ホハレ峠という名前は、大きな荷を背負って峠まで登ると頬が腫れてしまうほどだったことに由来するそうです。

距離は、山道を約5kmほどだそう。

時間は、徒歩で3時間ほどかかります。

当然ながら道中はかなりきびしく、橋と言えるのかわからないくらい頼りない、木を渡しただけの橋や、足元が狭くロープ伝いに行く場所など危険なポイントが多いです。

携帯も圏外なので、もし迷っても地図などを見ることはできません。

さらに、熊が出没するそう。

途中には川もあります。

そうしてやっと門入の集落跡に入ることができます。

門入集落(かどにゅうしゅうらく)の現在の姿は?ライフラインはどうなっているの?

門入集落、現在はどのような姿なのでしょうか。

誰も住んでいないと聞くと、ちょっと見てみるのがこわいですね…。

門入集落、村民の方は全員離村しているため定住している人はいません。

ですが、今も土地の所有権を持ち、そこに山小屋を建て、雪のない冬以外の時期に滞在している元住民の方がいらっしゃいます。

そして、集落の整備などをしているそうです。

思い出深い故郷を離れるというのは、なかなかできないものですよね…。

住民の方の気持ちを考えるとなんともいえない気持ちになります。

離村にあたり、八幡神社や小学校の分校をはじめ集落の建物は全て解体されました。

いまある建物は、その後、旧住民が一時滞在の山小屋として建てたものだそうです。

ライフラインはどうなっているのかというと、水資源機構の設備があることもあって、電気と電話は通じているそうです。

だから滞在することができるのですね。

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八ッ場ダム(やんばダム)とダムに沈んだ川原湯温泉

先日の台風19号では千曲川などが氾濫し、大変な被害が出ています。

そんななかひとつのダムが、大きな脚光を呼びました。

それが八ッ場ダムです。

八ッ場ダムは群馬県にあるダムです。

まだ運用は行なっておらず、国が2020年春の運用開始を目指し、10月1日に貯水試験を始めたばかりでした。

八ッ場ダムは、利根川の氾濫による洪水被害を防ぐとともに、首都圏の人たちの生活用水や工業用水を確保するため、1952年に建設省(現在の国土交通省)が、群馬県長野原町と東吾妻町の町境に計画したダムです。

そして、このダムの建設場所にあったのが川原湯温泉という温泉街でした。

貴重な自然湧出の源泉、及び元々の温泉街のあった場所は、八ッ場ダム完成によって出現するダム湖の底に沈みました。

そのため、予定湖面より高い地点に新源泉が掘り当てられ、その周辺に新温泉街を造成し、旅館などをは移転しています。

しかし、新温泉街はメインストリートとなる国道145号(八ッ場バイパス)からダム湖を挟んで離れているため、今後観光地として成り立つのかを不安視する意見もあるそうです。

計画が発表された当初、「首都圏の人たちのために故郷が水没する」ことになるため、地元住民はダム建設に強く反対しました。

1980年に群馬県が生活再建案を、1990年には建設省と群馬県が地域居住計画を提示することで、地元住民はダムの建設に向けた話し合いを始めることになりました。

住民の苦渋の選択の末、1992年に長野原町で、1995年には吾妻町(現東吾妻町)で「八ッ場ダム建設に係る基本協定書」が締結され、ダム建設事業が動き始めます。

このとき既に、ダム建設構想から、40年以上が経っていました。

しかしここで重大な事件が起こります。

2009年9月17日、鳩山内閣のもと、前原国土交通大臣は、突然八ッ場ダムの建設中止を明言したのです。

当時、民主党は事業仕分けの真っ最中でした。

これは、地元住民の意見、関係市町村、共同事業者の1都5県の意見を聞くことなく、国が一方的に判断したものだったというのですから驚きです。

しかし国は、八ッ場ダムの建設中止を発表後、再検証を実施することを表明します。

そして、有識者の意見を十分に聞き、最終的には、その検証結果に沿って国土交通大臣が適切に判断することとなりました。

2011年12月22日、前田国土交通大臣は、国交省政務三役会議において「八ッ場ダムの建設継続」を決定したことを発表します。

2013年5月15日に「利根川・江戸川河川整備計画」が策定され、「八ッ場ダム」が盛り込まれました。

ダム本体建設工事については、2014年8月20日に国が清水・鉄建・IHI異工種建設工事共同企業体と請負契約を締結します。

そして2016年6月14日からコンクリート打設を開始し、2019年6月12日に打設完了式を開催しました。

そして、10月1日から試験湛水が始まったところでした。

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台風19号による利根川の氾濫を防いだ八ッ場ダム(やんばダム)

試験湛水とは、ダムの本格的な運用開始前に最高水位まで水をためて、ダム本体や基礎地盤、周辺の山などの斜面の安全性を確認するものです。

運用に向けての最終チェックともいえるでしょう。

それにより、漏水状況や地滑り対策箇所などがチェックされます。

最高水位まで水がたまった後が、1日に約1メートルずつ水位を下げていきますが、最低水位以下まで水位を下げることはなく、ダムの底部分が見られることはなくなります。

試験湛水開始で、ダムは3~4カ月間で満水になる見込みでした。

ところが、台風19号の影響により、長野原観測所では累加347ミリメートルもの降雨を観測しました、

それにより、ダムは総貯留量約7,500万立方メートル、山間部から流れこんだ水で最大流入量は毎秒約2,500立方メートルにもなり、ダムの貯水池は518.8メートルから573.2メートルまで、約54メートルも水位が上昇しました。

そのため、今回のダムへの流入水を貯留したことにより、まもなく平常時最高貯水位(常時満水位)まで到達する見込みとなりました。

今後は水位維持の操作に移行するとのことです。

水が貯まる前後の写真がこちらです。

同じ場所とはにわかには信じられません…。

試験運用中にいきなり最大量の水位まで貯め込むというのは、かなり重い決断だったと思います。

しかしながら台風によるダムの被害は確認されていません。

このダムがなかったら、利根川は氾濫していたと言われています。

八ッ場ダム建設にあたっては前述のとおりかなりの紆余曲折がありました。

とくに、本当にこのダムは必要なのか、ダムに沈んだ川原湯温泉を偲ぶ声は絶え間なく上がっていました。

しかし、このダムによって今回たくさんの命が守られたのは事実です。

民主党によって一度は中止が発表された八ッ場ダム。

もしこのダム建設がされていなかったら、現在どうなってしまっていたのでしょうか。

もしもっと工事が遅れていたら、どうなっていたんでしょうか…。

まとめ

いかがだったでしょうか。

10月14日(月)の世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~で紹介される門入集落と、ダムに沈むという同じ運命をたどった八ッ場ダムと川原湯温泉についてまとめました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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