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織田信成モラハラ嫌がらせは誰?内容や関大退任の理由は体調不良

織田信成モラハラ嫌がらせの内容は?関西大学監督退任の理由は体調不良 スポーツ

こんにちは。

「織田くん」の愛称で親しまれているプロスケーターの織田信成さんが、関西大学の監督を退任した件について発言して波紋を呼んでいます。

関西大学は織田さんの母校でもあり、高橋大輔さんなども卒業している大学です。

関大は9月9日に織田信成さんの退任に際し「多大なるお力添えをいただきました。大変残念ではありますが、今後も、本学フィギュアスケート関係でご指導、ご鞭撻を賜る機会があることと存じます。心から感謝を申し上げますとともに、ますますのご活躍を祈念いたします」とのコメントを出しています。

この件について今まで織田さんの口からなにか語られることはなく、不自然だと言われていたとことでの織田さんの発言となりました。

関西大学と織田さんでは見解の相違があるようです。

※事実確認中としていた関大から9月30日の夕方に文書が発表されましたのでそれを踏まえて追記しています。

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織田信成さんが関大監督を退任(辞任)した理由はモラハラと嫌がらせを受けた体調不良

フィギュアスケート男子で10年バンクーバー五輪7位入賞を果たし、プロスケーターとして活躍する織田信成さんが関大に対する不信感をあらわしました。

関大は9日に、織田氏のアイススケート部の監督退任を発表。その際に「(多忙で)監督としての時間が十分に取れない」と申し出があったと説明していました。

ところが織田さんは関西大アイススケート部監督を退任したことについて、「多忙」を理由と報道されたことを否定し「リンク内で私に対して嫌がらせやモラハラ行為があり、その影響で今年春頃から体調を崩すようになった」と言っています。

織田さんは関大の発表に真っ向から反論することになりました。

織田さんは「関西大学アイススケート部監督辞任について、一部事実とは異なる報道がありましたので、自分の口から説明させてください」と切り出しています。

「関西大学アイススケート部監督辞任について」という題で織田さんが語った内容はどんなものなのでしょうか。

それによると、織田さんは「多忙を理由に監督を辞任したわけではなく、また関西大学との話し合いの場で『多忙で監督として十分な時間が取れない』とは一言も話していないとのこと。

辞めた本当の理由は、リンク内で織田さんに対して嫌がらせやモラハラ行為があり、その影響で今年春頃から体調を崩すようになり、辞任するまでの3カ月間リンクに行く事が出来なくなった事と、それに対する関西大学の対応が誠意あるものに思えなかったからだと言っています。

さらに、本件については7月に弁護士が同席して関大と話し合い、関大側が調べて報告するとなっていたそうなんですが、「そこから2カ月待ちましたが、誰がどのように調べているのか分からず、また結果報告もありませんでした」といいます。

報告を待っている間も、選手達を思い、「なんとかリンクに戻れる環境にしてくれないか」と訴えたと言うが、何も変わらず、「半ば諦めた気持ちで監督の職を辞する決意を致しました」とつづっています。

関大側が引き留めたという報道に対しても「そのような事はない」と否定しています。

最後に学長にあいさつしたいと求めたというがそれもかなわなかったといいます。

織田さんは「この件について公表する予定はありませんでしたが、辞任してから事実とは違う内容が関西大学側から発表され、精神的に耐えられず、今回自分の口で説明する事となりました。他の仕事への影響もあり、体調が優れないまま監督を続ける事は私にとって厳しいものでした」と苦渋の決断を強調しています。

織田さんは最後に「途中で職務を投げ出す形になり、本当に申し訳なく思っています。どんな状況でもスケートを教える事がすごく楽しかったので、自分がもっと強くいられればきっとこんな風にはならなかったのだと反省しています。13年間、お世話になった関西大学たかつきアイスアリーナを去る事は大きな決断でしたが、指導者としての夢はまだ諦めていないので、オファーがあれば、どこへでも行って指導できればと思います」と思いを記しています。

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織田信成さんが受けたモラハラや嫌がらせとは?具体的な詳細や誰がやったのか?名前などは公表されている?

織田信成さんが受けたモラハラや嫌がらせとはいったいどのようなものだったのでしょうか。

そして、モラハラの犯人というか、一体誰が行なったものだったのでしょうか。

いま現在、そのあたりは明らかにされていません。

そもそも公表するかどうかも織田さんはかなり悩まれたようなので、これから発表するかどうかは関西大学の対応しだいなのではないかと思います。

ですが、自身の母校である関西大学に対してこのような発表をすることになってしまった織田さんの心情を考えると、関大と織田さんの関係はかなりこじれてしまっており、事態が収集するまでにはかなり時間がかかるのではないでしょうか。

そもそも織田さんは関大の監督を無償でやっていたとの情報もあります。

ネットでは、織田さんの先輩やコーチ、後輩、さらには大臣の影響もあったのではないかという話もささやかれています。

織田さんによると、モラハラや嫌がらせは「スケートリンク内で」行われたとされており、そうなるとかなり大学関係者のような、内部の人間が関わっている可能性が高いですよね…。

さらに、織田さんが体調を崩すほどにひどかったということは一度や二度ではなく、日常的になんらかのことが起こっていたと考えられます。

スケート部の練習中であることも考えられますし、誰か目撃しているのではないでしょうか。

これからいろいろと証言が出てきそうですね。

さらに、関西大学のなかには織田派閥(織田信成さんの派閥?)と高橋派閥(高橋大輔さんの派閥?)があったという話もあります。

このあたりについては続報が入りしだい随時追記していきます。

関西大学「多忙」として退任理由は誤りだったと認める

織田さんの発表に関して「事実関係を確認中」としていた関大側が、9月30日夕方、取材に対して回答を行なっています。

それによると、「多忙」が原因としたのは公式の見解ではなかったと言っています。

さらに「多忙」とした退任理由は誤りだったと認めました。

そして「誤解を与えかねない表現だった」と陳謝しました。

しかしながら織田さんが訴えていたモラハラ被害については「認定できなかった」としています。

なぜ退任理由が「多忙」とされたのかというと、メディアから退任理由を問われた際、当時、織田さんの体調が優れなかったことから「お忙しいのではないか」と大学の広報担当者が回答したからとのこと。

広報担当者の回答が一人歩きしたということのようです。

「公式の見解ではない。誤解を与えかねない表現で申し訳ない」と話しています。

しかしながら公式の見解ではないとしていても、大学関係者が回答してしまえばそれが公式見解になりますよね。

織田さんの退任について発表すれば当然理由を聞かれるでしょうし、大学側がメディアに対しもっと慎重に対応しなければいけなかったと思います。

「多忙」は誤りだったとしながらも、また織田さんが訴えていた嫌がらせやモラハラ被害については、大学側は関係者へのヒアリング調査を実施した結果、「ハラスメントまでとは認められなかった。指導方法の行き違いと認識している」としました。

この調査は7月中には終わっていたそうなのですが、織田さんに伝えられることはなかったとのこと。

織田さんが調査結果の回答がなかったと言っていた件ですね。

理由として、大学の広報担当者は「織田さんの体調が優れなかったため、慎重に回答するタイミングを窺っていたところ、織田さんから一方的に辞めたいと申し出があった」と釈明しています。

関大が織田信成さんの告発に対して反論文書を発表

さきほどの関大のコメントは取材に対しての口頭での回答でしたが、関大側は30日夕方、反論の文書を公表しました。

それによると、あったのはモラハラではなく「指導方法についての意見の相違」だったという内容です。

2019年4月以降、織田さんに関係して、指導方法をめぐって同部内で意見の相違があったということです。

そしてそれは大学側も認識していたとしています。

その後、織田さんからは、7月1日に学長に対して所属事務所、弁護士が同席のもと、指導方法等に関する強い要望があったとしています。

織田さんの意見を聞き、その内容に基づき、時間をかけて複数の関係者に対してヒアリングを行いましたが、総合的にみてその要望を受け入れることは妥当ではないと判断したということでした。

織田さんはリンク内で織田さんに対して嫌がらせやモラハラ行為があったとしており、それについて関大側に調査を求めたとしていますが、大学側は「指導方法についての要望」について調査をしていたという回答でした。

関大からの文書には織田さんが訴えている「嫌がらせやモラハラ」といった文言はなく、あくまでも「指導方法について」という一点張りです。

また、織田さんへの回答がなかったことについては、織田さんの体調も考慮しつつ、こうした結果を織田さんにお伝えすべく慎重に準備を進めてきたが、先に織田さんから辞任のお申し出があり、やむなく大学として了承することとなりましたとしています。

大学側としては回答する準備ができていたのに回答を聞くこともなく織田さんが勝手に辞めたという言い分のようです。

織田さんの「指導方法についての強い要望」、それがすなわち織田さんにとって「モラハラや嫌がらせ行為の是正の要望」だったのだと思いますが、言い方を変えるとここまで印象が変わるのかと驚きます。

この回答は、当然織田さんが納得するものではないでしょうね…。

反論文書では最後に、大学としてはこれからもご本人や所属事務所と話し合いを続ける用意があり、真摯に対応していくとあります。

指導方法についての強い要望とは一体なんだったのか、それはモラハラや嫌がらせと取られても仕方のない内容だったのか、そのあたりがはっきりしないといつまでも話し合いは平行線のように思います。

織田さんの今後の対応に注目が集まりそうです。

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ネットの反応

この件に対するネットの反応をご紹介します。

織田信成(おだのぶなり)さんのプロフィール

名前 織田信成(おだのぶなり)

生年月日 1987年3月25日

年齢 32歳(2019年9月現在)

出身 大阪府高槻市

身長 164 cm

体重 52 kg

織田信成さんは、2000年代から2010年代にかけて活躍した日本のフィギュアスケート選手です。

主な成績に2010年バンクーバーオリンピック7位、2006年四大陸選手権優勝、2008年全日本選手権優勝、2005年世界ジュニア選手権優勝、2009年・2010年GPファイナル2位、2006年世界選手権4位などがあり、さまざまなすばらしい功績を残しました。

アマチュア引退後は、トラロックエンターテインメントに所属し、プロスケーター・スポーツ解説者・TVタレント・指導者などで活動しています。

2017年4月1日付で母校関西大学スケート部監督に就任していました。

2019年9月9日、同日付で関西大学アイススケート部監督兼コーチを退任したことを、関西大学が発表していましたが、今回見解が違うということで自身の考えを発表しました。

織田信成(おだのぶなり)さんの経歴やエピソード

織田さんは大阪府高槻市の出身です。

大阪府立阿武野高等学校卒業後、関西大学文学部英語英文学専修に進学しました。

2010年4月2日、関西大学学長表彰を受彰しています。

そして4月22日、中学時代の同級生だった女性と入籍。

10月1日、第1子の男子が生まれています。

2011年3月19日に大学を卒業、4月から同大学大学院文学研究科修士課程に入学しました。

 2013年1月5日には第2子の男子が誕生され、2015年3月23日に大学院を修了しています。

2016年11月7日には第3子の男子が生まれています。

織田さんといえば大変涙もろく、現役時代から人目憚らず号泣するシーンが印象的です。

2005年10月のスケートカナダでは、7位に終わったショートプログラム後に悔し涙に暮れましたが、大逆転のフリースケーティング後には嬉し涙を流す姿がありました。

とくに2005年12月のNHK杯では、初優勝が決まった瞬間にキス・アンド・クライでは大声をあげながら大号泣、母親でコーチの織田憲子さんが笑いながらそれを宥める姿が全国に大きく放映され、織田さんを一躍有名にしました。

また、織田さんは勝負強く、本番で練習以上の力を出すこともしばしばありました。

一方で規定に反してザヤックルール違反や、コンビネーションを跳び過ぎて、高難度ジャンプの得点が無効になってしまうことが過去に公式試合で9回もあったため、織田さんが出場していない大会の、外国のTV中継中においてすら「ザヤックルール違反と言えば日本のOda」と話題にされることがあったそう。

※ザヤックルールトは、同一フリープログラム内で3回転、及び4回転のジャンプを、2回跳ぶことが出来るのは2種類までの制限があり、少なくとも1つはコンビネーションまたはシークエンスにしなければならないというルールです。

日本のフィギュアファンの間では他選手であってもザヤックルール違反を俗に「オダる」と呼ばれることもあるそうです。

織田さんは身体の柔軟性が高く、またスピンはバリエーションが豊富な選手でした。

演技の流れの中で跳ぶジャンプは評価が高く、膝と足首を柔らかく使った着氷も美しいと評価されていました。

まとめ

織田信成さんが関大スケート部の監督を辞任した件についてまとめました。

関西大学だけでなく、スケート界は過去もモラハラやパワハラの話がありましたし、なかなか闇が深い場所なのだなぁと思います。

まずは織田さんの体調が早く落ち着かれることをお祈りします。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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